2025年9月9日(火)
- 仙台→多賀城→塩竈→松島→石巻→名古屋
雨の隙間に仙台離脱、多賀城へ
予報では曇りで降らないってことだったので延泊したのに仙台は朝からシトシトな4日目最終日。
やっぱりライド諦めるか?
いやいや8時台に一時的にやむというのでそそくさチェックアウト、雨から逃げるように仙台から北東へスタート。
しばらく国道を走っていると「特別史跡多賀城跡」の看板が目に入り、雨雲も追ってきていないようなので寄り道。
耳にしたことはあった多賀城、石垣くらいは残ってるのかなと訪れると、そうした戦国時代以降の城郭ではなくて奈良時代につくられた相当古いものだった。
いわゆるお城、というより大和朝廷がこの地方を治めていた役所・国府。
またここを拠点として蝦夷と対峙していたのだそう。
復元された門や大路などからかなり大きな規模だったと想像、起伏こそあれど平城京跡のイメージに近いような。
平城京や大宰府とならぶ日本三大史跡、訪れないとわからなかったことばかり。
寄り道してよかった。
画像をフリックまたは<>クリックで次の画像が表示されます。
松島や、ああ松島や
日本三景、湾内に小島が連なる松島へ。
ただ絵葉書のような絶景は見通しの良い高台に行かないと見れないのかな。
まあそれでも充分いい景色だったけど、天気がね。。
ちなみに有名な「松島や、ああ松島や、松島や」は芭蕉の句ではなく、実際は、あまりの絶景に言葉を失って句を詠まなかったという逸話を揶揄した後世の創作だそう。
黄表紙本か?
画像をフリックまたは<>クリックで次の画像が表示されます。
震災の爪痕と復興を感じながら
宮城の海沿い道を走ってて、震災から15年近くもたてば平常な風景ばかり、、のようにも見えるけど。
やはりその痕跡はあって、野蒜海岸のこの整備された道も震災後に作られた大きな防潮堤の道。
走ってて爽快なんだけど、同時になんだか胸がキューッとなるものがあった。
あとで調べたら海辺の野蒜地区は10mを超える津波にのまれ多くの犠牲者が出たんだそう。
ここに来る前に道を間違えて高台へのぼってしまって、そしたら真新しい住宅街や新しい駅舎と鉄道。
震災後、津波を避けて生まれたらしい街。
平穏な生活感を感じる町並みだったけど、各家にバックストーリーがあるんだろうなと。。
画像をフリックまたは<>クリックで次の画像が表示されます。
奥松島に立ち寄り
事前に組んだルートを外れ「あっちの道なんか良さそうかも」と直感任せで、奥松島。
走りやすい道に絶景点々、寄り道して正解だった。
まったく知らなかった場所も、こうして(ちょっと)知ってる場所になるのがヨロコビ。
朝の雨雲も完全にどっかいった。
画像をフリックまたは<>クリックで次の画像が表示されます。
石巻でゴール
4日間にわたって山形→福島→宮城と巡った東北自転車旅を石巻駅でFin。
市境サイン、案内標識を見るとずいぶん遠くに来たなと感慨ひとしお。
駅ではサイボーグ009や仮面ライダーの人形がお出迎え。
石ノ森章太郎の出身地なのね。
新幹線の時間に間に合うよう輪行ガタゴト。
車窓の景色を名残惜しみながら仙台駅へ。
画像をフリックまたは<>クリックで次の画像が表示されます。
名古屋への帰り輪行
仙台から名古屋へ新幹線輪行で帰路り。
待ち時間に飲んだ「ずんだシェイク」うま沁み。
東北新幹線の鼻の長ーいE5系、もちろん乗るの初めて。
最後尾座席を予約しておいたので輪行袋も無事収納。
途中乗り換えの東京駅まで1時間半で着いたのちょっと驚き。
仙台ってもっと遠いイメージだったから。
名古屋から東京までの所要時間と同じくらいなのね。
乗り換え時間が13分しかなくて、東京駅内の方向感覚ないのでメチャ焦り。
でかい輪行袋担いで人混みの中キョロキョロ小走り、あやうく違う方向へ行くとこだった。。
残り数分のぞみに乗り込み最後尾座席、ひと安心。
名古屋駅について外に出たときの第一声「暑っ!」。
やっぱ東北は涼しかったんだ。
駅の片隅で輪行解除、自転車組み立てて自宅へ13分。
家に着くまでがなんちゃらラ。
天候とハプニング(ライト落とした)に振り回された東北旅だったけど、延泊した甲斐あって最後に宮城県を石巻まで走れたのはよかった。
お金はたくさん飛んでいったけど、全県走行的には一度に三県クリアできた考えればお値打ち。と考えよう。
車輪を通じてその土地の地理が体に入ってくる感。
知らなかった場所が線でつながって自分のなかの地図解像度が更新される感。
自転車旅の魅力だよね。
おしまい。
画像をフリックまたは<>クリックで次の画像が表示されます。

